サァァァ

いつの物か知らないが、古木が一本風雨のために根こそぎ倒れ、空き地が形作られていた。朽木は苔むし、下草は膝まである。 雨が、流れゆく血が、体温を奪う。亜紀はそんな緑の生い茂る場所の外れの樹の下に蹲っていた。

「ああ、やっぱり。此処にいたんだね。亜紀」
「! うそ………、?」
突如、幽鬱な空間を裂いた友人の声に亜紀が驚いて瞬く。
気配はなかった。一瞬前まで何も存在しなかったそこに、丹青色の傘をさしたはいた。
「あんた…どうやって……」
二の句がつけない亜紀には人差し指を口元にあてる。
「今は秘密。もうすぐ、彼等も来る。…すまなかった。亜紀の原因の一部は、私にもあるんだ」
、何言って…?」
亜紀の問いに困った様に微笑む
「人は誰しも、他者無しでは生きていけない。何らかのカタチで依存しあい生きていく。そういう種族だ。だから反発し理解しあう。常に死と生と隣り合わせで在り続ける。
 ―――そういうものなんだよ」
「…!」
の呟きに、神野の言葉が頭を掠める。
だがそれは亜紀に向けたものというより、自身に向けて発したものらしい。はゆるく首を振り、亜紀が来た道を見遣った。
「……ほら、来たよ」
亜紀はゆらりと立ち上がった。越しに前方を見つめる。
暗く、深い林。程なくして、がさりと薮が鳴った。
「…………間に合ったか」
「そうだね。お疲れ様」
斜面を登ってきたらしい俊哉が乱暴に杖を突く。その後にあやめと空目が薮の中から姿を現した。




空目の低い声が場の空気を揺るがす。とつとつと紡がれゆくのは喚起の呪文だ。
「村神、
腐臭と獣臭に満ち溢れる中、空目が言った。
「……何だ?」
「うん?」
「これから何が起こっても、俺とあやめを守ってくれ」
「…言われなくても」
「その為に私達がいるんでしょう」
「………済まん」
あやめの詩が、世界を割った。



−山の領地は、隠しの地。隠しの神は、山の神。

硝子の空に、墓標の地。全ては山へ、還るが為に−



凛、と透明な声が大気を震わせる。あやめの詩を聴きながら、は手を軽くひねった。
現れたのは、緻密な装飾の施された短剣。
それを刃を下に向け、自身の中央におき、は謳を紡ぎはじめた。
の行動に驚いたのは俊也と亜紀だ。何か言おうとする俊也を空目は制す。


−空に灯を燈せと風がなく

たゆたうは深淵にと水は謡う−

腕を水平に凪ぐと、短剣が雨を切り裂き白い軌跡を描いた。

−さかえ舞い上がれと焔が嗤う

全て死そうて地は眠る−


あやめの詩を追う様に紡ぎ出されるの謳。テンポの速い旋律が形のよい唇から零れ、大気を震わす。


−巡れ廻れ理よ

断ちて紡げ運命の糸−



ぶわ、との髪が、服がはためく。光の粒子が弧を描き、宙を舞う。
その中に佇むの姿は神秘的、と言う表現が似つかわしかった。


−響け現世に空の声

届け今世に闇の腕

巡りて巡りて絡め糸

廻りて廻りて捉らえ命−



伏せられていた瞳が意思強く瞬いた。

−識りて紡ぎて乞うは世界。
 願うは刃向かいし対象、
 我が対価と引き換えに、刹那に権化せよ―――


おいでなさい、シルフェスト。


そう、が囁いた一瞬後にはの前に女性の形をとった風の精霊が浮かんでいた。
精霊の現実界への実体化。それは自然界に乞い希う事で力の行使を可能とする術。のもっとも得意とするものだ。
シルフェスト、と再度呼び掛けると頭に直接声が響いた。

"我が主、そなたは吾に何を希む"

ふわりと笑んだ。見た者を魅せる程、艶やかに。
「邪魔なものを一掃する力を。我が友人を護る力を。―――貴女の力、借りるわね」

あやめの詩によって世界は揺らぎ、敵意が増幅されていくのを肌で感じる。 そんな中、空目は何事も無いかのように語り始めた。 正直、空目の講義は興味深いので聞いていたいのだが、その間にも蛆は蛹へと変態し群れとなりつつある。
「織り紡げ、不可侵の壁。宿れ、風の刃」
の呟きに透明な壁が空目達を囲み、持っている短剣が光の粒子が纏わり付いた。
下草があって好都合だった。どこから来るのかが判る。
「      」
は低く、言霊を音に乗せた。





その後のの動きはまるで舞を踊っているかのようだった。
襲い掛かる狗に軽くステップをふむ様に踏み出せばことごとく攻撃を避け、腕を凪げば全てが地に伏した。

鮮やかに

軽やかに

躊躇なく

容赦なく

それが当然かの様に

血の匂いに酔いそうになりながらは短剣を振るう。
ぶちぶちっ、と神経が肉が裂く感触が手に伝わる。
生温い液体と鉄を含んだ特有の匂い。溢れ出し、零れ落ちた深紅の玉露が濡れた草にてらてらと怪しく光った。
(…亜紀の限界が近いな)
獣を薙ぎ払いながらは亜紀の様子を伺う。
蟲の攻撃は狗達の守りによって阻まれてはいるが、元より亜紀の出血量が半端ない。 おそらく今も血は流れ続けている筈だ。このままでは亜紀の方が先に参ってしまうだろう。



ふいに名前を呼ばれた。獣達を牽制しつつ空目達の元に戻るとこの後の行動を告げられた。出来るかと問われ、頷く。
そして――サブノックが権化した。
黒い蝿がうねり、それを造形していく。
禍々しい気配と激しい敵意が辺りを満たしていく。

役者は全て、揃った。

敵意

恐怖

狂気

悪夢の様な光景の中で空目が立つ。
「聞け!」
空目が低く叫んだ。
「魔より来るは魔をもって、血より来るは血をもって、共に炎へと還れ!塵は塵へ、灰は灰へ、汝ら連なる呪物と共に消えよ!」
そう高らかに告げ、紙片を差し出す。 血によって半ば以上染み込んだそれは悪夢の中奇妙に浮かび上がる。悪魔に連なる、狗に連なる、唯一のもの。
空目を中心にその一瞬全てが動きを止めた。
次の瞬間、空目の右手が閃きライターを取り出す。が短剣を構えた。
ぽっ、と火が点る。
ザグッ、と地面に突き立てる。
途端にこの場にいる全ての"この世のものでないモノ"が恐怖し、空間に爆発した。
全ての敵意が空目に殺到する。
見えない風が先頭の狗等を切り裂き、肉片が血が舞う。
そして、
「……もう、遅い」
その時には、空目の持つ炎が紙片の端をあぶっていた。

ちらちらと炎が燃え、火が爆ぜる。燃えているのは悪魔に連なるモノと『犬神』である。
地に突き刺した剣はそのままにし、はゆっくりと立ち上がる。
「…古来、『歌』とは"祈り"であり、"真言"であり、すなわち"神の言葉"だった」
朱い視界の中、空目が淡々と語る言葉に耳を貸しながら、さくり、とは足を踏み出した。
さくり、さくり。炎の中は歩く。村神と空目が話しているのが聞こえる。
さく
ふわり、と目の前の亜紀を抱きしめた。
「!」
「ねえ、亜紀?」
耳元で囁く。

もう、終わらせましょう?

「辛い思いをさせて、ごめんね?」
「……っ!」
「―――返してもらうわ。その片を」
す、との指先が亜紀の額に触れる。ぼぅ、と淡い光が亜紀からに移った途端、がくんっと亜紀が崩れ落ちた。
「…おい!」
俊也が慌てて駆け寄る。
「大丈夫。眠っているだけだから」
「そう、か…」
最後の炎が消える。と、そこはなんの変哲もない空き地に戻っていた。

「さて、空目くん。亜紀を頼んだよ」
の言葉に訝し気に空目は目を細める。
「村神くんは怪我、完治しているわけじゃないでしょう?それに…彼等との接触は避けたいしね」
今回、私は無関係を装っているのだから、此処にいるのは不自然でしょう。と短剣を回収しながら告げる。
「私は別の道から帰るわ」
「後で話してもらうぞ」
「ええ。亜紀が学校に来たらね」
ふわりと微笑い、一礼する。

「それじゃあ、また明日」

一瞬後、の姿は空目達の視界から掻き消えた。














あと少しです。





07/2/10 up