3日後の昼前、は自室にいた。 薄暗い部屋の四方のうち三方の壁には隙間なく本棚が置かれ、旧めかしい書物が存在している。 端には樫の机。これは以前の持ち主のものである。そこにも分厚い書物が置かれ、ルーズリーフには幾何学的な模様、そして大小様々な式が乱雑に書かれている。 そんな中、電気は燈さず、窓辺に座り空目から借りた本をは時折めくっていた。 携帯にイヤホンを繋げ、落ちてくる髪を耳元にかける。 僅かな魔力の反発によってふわり、と髪がたゆたう。 静けさに支配される空間の中、は耳をすませていた。 電話越しに聞こえる、空目達の会話を―― 『――では、何からお話しましょうかねえ…』 黒服の芳賀の声がノイズ雑じりに聞こえてくる。元より、彼等には好印象を持っていない。 あちらではかなり最悪な空気なのだろうなと人事の様には思考する。 どうやら依頼の件というのは、芳賀と共に来た少女の事らしい。少女の名は大迫歩由美という。だが、 「大迫、ねぇ…」 は小さく小さく呟いて軽く眉をよせる。 偶然には出来過ぎている。大迫など、滅多に見られる名ではない。 その間にも、会話は進む。 自殺した兄の事。 幻覚の事。 繩の軋む、音。 彼女の話が進むにつれて、の瞳が冷ややかになっていった。 (やれやれ…。まさか、こんなところで同業者の後継に当たるとはね) 手繰り寄せた縁は思いの他、複雑らしい。 おそらく今回、空目達にはどうすることも出来ないだろう。 なにせ、アレが相手なのだから。 どうしたものかと軽く嘆息していると、どうやらあちらの話も終わりのようだった。 そういえば、は来なかったな。と、話の途中から思考を飛ばしていた武巳は次の空目の言動に驚くことになる。 芳賀達が立ち去った後、空目はおもむろに机の裏面から携帯を取り出した。 「、聞いていたか?」 「……!?な、え、?!」 思わずその場にいた全員が空目を振り返る。 『…聞いていたよ。全く、彼等も厄介なものを引き出してきたものだね』 にしても、とやや呆れた様なの声が電話越しに聞こえてきた。 『近藤くんの反応を聞いている限りじゃ、もしかしなくとも、皆に伝えていなかったのかな。空目くん?』 「……恭の字、どういう事?」 代表して亜紀が問う。なんてことはない。と空目が返した。 「には別の場所で待機してもらっていた。それだけだ」 ついでも続ける。 『以前黒服に会った時、別行動をした方が都合がよかったからね。勝手ながら、こういう行動に出させてもらったの』 まぁ、あちらが何処まで気付いているかは知らないけれど。と電話越しにが言う。 『それで?今後私はどうすればいいかな』 「一先ずこちらに来てくれ。…それと、」 『なに』 「今から言う本を持ってきてくれないか」 が沈黙した。 『……………この面倒くさがりめ』 ぼそりと恨む様な声で言うのを空目は敢えて無視した。 20分程して、は空目宅へやってきた。 「久しぶり。みんな」 「少し遅かったな」 「君が本を持ってこいと言わなければもう少し早かったよ」 そう溜息と共に返したはぐるりと部屋を見回し、不愉快気に眉をひそめた。 「……ほぉ?いたんだ。此処でも。…しかも成長しているし」 「…?」 腹ただしげに呟くに俊也が問うと気にしないで、と返される。 「本当に、気にしないで。君達が気にする事じゃないから」 「、関連性はあったか?」 唐突に空目が口を開く。何が、と武巳が問う前にあるもないも…。とがまだ不愉快さの残る表情で応えた。 「魔力の残滓といい、間違いないと思うよ」 「………なんの話?」 「こちらの話。…空目くん。君達がこの件に関わると決めたのなら別に私は口を出さない。私は君達に助力しよう。 けれど、ただ一言だけ、忠告しておく。 誰かが必ず、 死ぬよ 」 「…………!」 ぞくり、とした。 冗談でも何でもない、言葉。それを余りにも簡単に、は放った。 誰よりもどんなものよりも 冷たく 暗い 昏い 底が見えないの眼差しが空目を射ぬく。 まるで見えない糸が張られたように両者とも動かない。武巳達が少しでも動けば焼き切れてしまいそうなそんな空気の中、空目の言葉で全てが動き出した。 「誰が死のうと、俺には関係はない」 「…君ならそう言うだろうと思ったよ。とりあえず、私の言葉は頭の片隅にでも入れてくれればいい」 先ほどのそれと感じさせない声音。 微妙な空気が流れる中、それと、とが続ける。 「知っているとは思うが、稜子ちゃんは他人の感情に共感し過ぎて引きずられやすい。注意しておくことだね」 私が言いたいのはそれだけだよ。と空目に本を渡しながらは言う。そしてはぁ、と軽く嘆息をつきながら亜紀の隣に座った。 「珍しいね。あんたがそこまで言うなんて」 「…そう?警告しただけだよ」 「警告……?」 亜紀が首を傾げる。 「そう、警告。私にはそれしか出来ないのだから」 はそう呟いて頬杖をついた。 それから武巳が稜子を迎えに行き、今後の事について話し合っているとただならぬ様子で二人が戻ってきた。 稜子に席を譲り、壁にもたれ掛かる。そして稜子の話を聞いていると、小さく袖を引っ張るあやめの姿があった。 「さん…」 「どうかした?あやめ」 「さん…あの、それ…」 「…このピアスのこと?」 左耳につけている物を指し示すと、こくと頷かれる。 「これがどうかした?」 「あの、えっと…… それは誰の血ですか――?」 「………それは、誰かに話した?」 「いえ…」 「…そう」 恐る恐る、あやめがを見上げてくる。そんなあやめを見、…秘密、だよ。と婉然とは囁いた。 「もう暫くすれば自ずと判る。 それまで、誰にも言わないでくれ」 07/6/10 up |