それは慌ただしい一夜となった。
大迫歩由実の自殺は各所に波紋を投げ掛けた。
「―――現在、状況はこのような形です」
稜子に武巳をつけ、今は空目達6人と芳賀だけだ。
「さて、この状況ですが…どう思います?」
「…どう思うかだと?『大変遺憾に思います』とでも言えばいいのか?」
ふざけんな、と言う様に俊也が芳賀を睨む。
「いえ、そんな事はどうでもいいんです。歩由実さんの自殺によって新しい情報が入りましたから」
芳賀の話を聞き流しながらはユッカを撫でる。隣にいた亜紀がそっと囁いた。
「ねえ、あんた、顔色悪くない?」
「…そう?特に何もしてないんだけど」
最近忙しかったからかもねと返す。
その言葉を聞きいた亜紀は軽く眉をよせた。
亜紀は稜子ほどではないにしろ、周りを見る事は出来ると自負している。ここ2、3日で確実には疲労が見え隠れしている。空目達はともかく、同性の亜紀には見れば分かった。
「本当に私は平気だよ」
だから今は空目の考察を聞こう、と言っては目を細めた。

(まだ、終わっていない)
魔術師はそんなに簡単に引き下がらない。
(やれやれ、あのまま異界で首を吊っていればよかったのに)
ため息をつきながらは今後を憂えた。













「こんばんは。水方先生」
水方を確保し終え、空目や亜紀に続くようにが書斎に足を踏み入れると、水方は驚愕の声を上げた。
「………! な……っ」
窓から差し込む月明りを浴びながら押さえられた水方の近くに歩み寄り視線を合わす。
「お前…何故だ。確かに本は渡したはず………!」
「気づいていなかったんですか?私もまた、先生の父親と同じだということを」
そう言って、は微笑む。とても、とても、綺麗な笑顔で。
急速の濃くなっていく大気が悲鳴を上げるように攀じれてゆく。

「あんなもので、私を取り込もうと?」

密度が増す。

「あんなもので、手に入ると?」

息が、できなくなる。

温度の持たない紺碧色の瞳が、射抜く。

「あんなものじゃ、
                  私は壊せない」



畏怖と共に沈黙した水方にはもう用はないというように視線を外し、壁際に歩を進めた。
「――さて、証拠は残らず隠滅されたようですがね」
水方が静かになったところで芳賀が言った。
「ですが、書類をシュレッダーにかけたぐらいでは完全な隠滅とは言えませんね」
残らず復元させてもらいました。と続ける。
「…さあ、一緒に来てもらいましょう。貴方の計画はここで終わりです」
芳賀が強い口調で言ったとたん、水方は笑い出した。
何も終わってなんかない、と。
痙攣するように笑い始めた水方に、俊也も芳賀も眉を寄せた。
「何を…」
「ひっ、おっ………終わってなんかないぞっ!はは、親父は、親父が!あの偉大な親父がっ!蘇る……んだっ! もっ、もう遅いっ!……次の種は蒔いたんだっ!あああああの娘にも"資格"があったから!」
そう言って笑いが高くなる。気が触れたように、狂ったように笑う。
その後、水方がくちなわの使い魔を発動させた。運悪く絨毯の模様を見てしまった俊也が捕らわれ、首を締め上げられてしまった。
その隙に水方は抜け出し背後のカーテンに体をぶつける。そして――
俊也が首にあった縄の感触が消えていることに気付いた頃には水方は、カーテンの紐が首に巻きつけて死んでしまっていた。
ぎい、と 小さく揺れながら。












空目の携帯がなったのは、水方の死体を降ろす、世にも暗鬱な作業中の事だった。
「日下部が消えたらしい」
全員に動揺が走る。先程の武巳の電話の内容を要約し、空目は本棚で魔道書を読んでいたに呼び掛けた。
、『樹』の場所は分かるか?」
「識っているよ」
「案内を頼む」
「判った。少し待っていて」
ぱたん、と閉じ他にも何冊か取り出す。
「? 何を―…」
「ずっと、気になっていてね。最初にこの家に来たときから」
呟きながら手にとった物を今度は別々の場所に差し込む。
「あの時は入れなかった。鍵をかけられていたし」
かたん
かたん
かた、ん
「…でも、見つけた」
カチリ
まるで歯車を廻したかの様な音。それがしたかと思うと、本棚の一部が重たい音を立てぐるりと反転した。
「これは…」
「隠し棚といった所か」
こんなものもあるとは、と芳賀が呟く。
そこには生前集めたのであろう呪物の骨董品が数多く置かれていた。はその一つ、小さな硝子瓶を手に取る。
「私の用は済んだ。行こうか」
「それが探していた"モノ"か」
空目の言葉に小さく笑う。
「ああ、私が探し集めついる"モノ"だよ」
呼応するかの様に瓶の中のソレが小さく瞬いた。









―――ざわ
枝葉のこすれる音がひしめく。
―――ざわ、ざわ り
葉が、枝が、木々が、まるで稜子を誘いかけるかの様に囁きかける。
――け……行け
いつから世界が反転しているのを稜子は知らない。赤い朱い昊は稜子を、そして大樹を背にし沈黙していた。
目的地は近い。
甘い毒々しいほどの梨の匂い。そして水の匂い。
―――幻影の"沼"のほとりに、大きくねじくれた一本の梨の木。それを木と呼ぶにはあまりにも禍々しかった。

誰が気付けよう

真っ赤な熟れたまあるい果実を

誰が知りえよう

もぐ事は難しい。ならば?簡単な事だ。刈り取ればいい。

あの鈴なりの首吊り死体の実を
残らず全て全て全て、収穫し食い尽くせば
"私"は黄泉がるのだ。

今度こそ

今度こそ、大丈夫だ。

早く収穫しよう

抑えきれない歓喜で口の端が持ち上がる。
取り戻すのだ、元の『願望』を。
早く早く早早く早く早く早く早くく早く早く元の早く早く早く早く早く早く早く早く収穫を早く早く早く早く早く早く全て早く早く早く早く早く早く 元に早く早く早く早く早く早く食らって早く全て早く早く早く早く今度こそ早く早く早く早く早く早く早く全て全て全て全て全て全て全て全て 全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て果実を――――

ふと、気がついた。
どこからか、少女の歌声が聞こえてきた。
詩は静かに空気を震わせ、赤い空に広がって、空間に滲んで、消えた。それに応えるように稜子は足を止めた。戸惑いの表情を浮かべながら。
「魔王様…、ちゃん………」
"奈良梨の木"の前に黒ずくめの少年と、木に寄り掛かる様に紺碧色の瞳の少女が立っていた。
「意外と遅かったな」
淡々と空目が言った。
「…魔王様、ちゃん……どうして?」
戸惑うような稜子の声。
「何故?それはお前が誰よりも知っているはずだがな」
それに対し、空目が真顔で答える。は黙ったまま、稜子を見ていた。
「………やめようよ………わたし、その木まで行きたいだけだよ。そうすれば、わたしは助かるの。お願いだから、そこを退いて」
必死に、今にも泣きそうに稜子はなおも訴える。
「わたし、判ったの。その木の果実を持ち帰れば、わたしは助かるんだよ。先輩やお姉ちゃんは、辿り着けなかったから死んじゃったの。そこまで行けば、助かるんだよ……」
「…言いたい事は、それだけ?」
、ちゃん…」



「茶番はおしまいだよ。……小崎摩津方」
がそう言った途端、稜子の表情が一変した。
「…つまり、君達は穏便な終わり方を望まんという事だな?」
「お前にとって穏便である事が、他者にとって穏便だとは限らんな。…日下部を返してもらおうか」
摩津方は嗤う。そして検印を作り、言った。
「残念だが、この娘を手放す気は無い。この娘の素養は素晴らしいぞ?愚かな息子の失態で一時はどうなる事かと思ったが、不由実の代わりに素晴らしい"体"を見つけてくれた。―――――そこにいる娘でもよかったのだがな」
そう言って空目の後ろにいるを見た。
その摩津方の言葉におや、と軽くは眉を跳ね上げる。
「親子揃って愚鈍とはね。……子の方はともかく、魔道士として名を馳せた貴方が気づかぬとは。焼きが回ったな」
「…なに?」
あんなもの(、、、、、)で私を取り込めるわけがないだろうが」
「…どういう意味だ?」
「気付いていないのなら、別に話すようなことでもない」
それだけの存在だったというだけだ。
樹から離れ、空目より一歩前に足を踏み出す。



不愉快だったのだ。とても。
この件が始まる前後からさわさわざわざわと煩わしいし辟易するしやらなくていいことに時間をかけなければいけないしその上干渉してこようとするわ時間がないのになおも引き裂かなければならなくなったわ―――――とどのつまり、
は怒っていた。
空目達と事件の解明してゆくのは既に決まっていた事柄だったからそれは別に何とも思っていない。だのにアレがこちらにまで干渉してこようと取り込もうとねちねち引っ付いてまわって何回邪魔で魔公子とユッカと排除しようかと画策したことか。




「もう一度言う。日下部を返してもらおうか」
淡々と空目が宣言した。
「俺は、ここを退く気は無い。その体も、返してもらう」
「……ならば、この"体"を傷つける気も無いということだな?」
それが決裂の合図だった。
摩津方の呼吸が魔術特有の呼吸法に切り替わる。間を置かず、も戦闘体勢をとった。
呪力が足元を廻り、荒れ狂う。
それと同時に空気の振動によって周囲の雰囲気が変質し始めた。
摩津方の呪文が高らかに響き渡り、それに応じて纏わりつくような冷気が凝集していく。
は呪力を練り上げ、形を創りながら相手の出方を待っていた。

禍々しいまでの"敵意"

圧倒的なほどの気配

それが頂点まで達し、摩津方が『検印』を達に向けた瞬間、空目が口を開いた。

「……村神、やれ」

言葉と同時に俊也が動く。
「な………!」
驚愕の声を上げ、摩津方の呪文が途切れ、そのまま俊也に組み伏せられた。
「…"神隠し"の隠し身か………!」
そう、あやめと俊也はずっとずっと、いたのだ。
俊也の隣で詩を詠っていたのだ。
摩津方の背後で、ずっと。
肺を押さえるよう俊也に指示した後、空目が静かに摩津方に近寄る。
「油断したね。正面の私だけに注意を引いてなければどうにかなったものを」
戦闘体勢をときながらにこりとは笑う。
「こういうわけだ。…はともかく、魔術師の作法に、魔術師でもない俺が従う義理は無い」
そう言って空目は摩津方を見下ろし、その隣にあやめが立った。
「……なるほど…………確かにその通りか」
苦しそうな表情で摩津方は呻いた。
「一つ聞こう、人界の"魔王"よ」
「…何だ?」

「お前は何を望んでいるのだ?」

そう言った摩津方の声はこの状態でも微かな笑みを含んでいた。
「………」
「君の望みは我々と同じように遥か彼岸にある。少なくとも、君の望みは物質的なものでないだろう。この娘では支える事すら、できはすまい」
摩津方の言葉に空目は眉を寄せる。
「…………何が言いたい」
「判らんかね?そんなはずはあるまい」
摩津方の口調が、熱を帯びる。
君の望みに、魔道士たる" 私" ならば協力できるといっているのだ(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)。この娘をよこせ、人界の"魔王"よ。
 さすれば、君の願いのために"私"は協力を惜しまないだろう。君の願いが彼岸にあるなら、それは"私"の領分だ。この世界では失われた君の半身(、、、、)も、この娘などではなく"私"の領域の存在なのだぞ―――!」
沈黙が張り詰めた。
やがて空目が、口を開く。

「…………お前では、駄目だ」

はっきりと、言う。
「ふむ?」
「俺の望みは、お前の思うほどに高次元ではない。よって、お前では話にならない。それに、
 協力者なら既にいる」
、と空目の背後で事の成り行きを傍観していたに声をかける。
「…もうやっても?」
「かまわん」
そ、と呟き摩津方に歩み寄る。




(うつ)りて写して移すは境
心に在りし (うつつ)に在りし
(ともな)いの(そら)に通い路を





片手を翻し手中に現れた円い手鏡が稜子を(うつ)す。
何処か納得した表情の摩津方に、ゆっくりとの口が動いた。たった、一言。

"宿れ"

その言葉と共に、摩津方は意識を落とした。




















どさりと、倒れた音がしたのはそのすぐ後だった。





















07/11/23 up