「――何を描いているの?」 あっちのみんなとか、たくさん。 おねえさんも、描く? 「私は見ているよ。ただ、紙はまだあるからほしかったら言って」 はーい。 その日は、いつもと少し違った。 支度をしているとバルレルから、「電話が鳴ってる煩ェ止めろ」との苦言が来た。どうやら着信音で起こしてしまったらしい。謝った後に電話に出るとそれは芳賀からだった。 「で、何だったんだ?」 「何でも、緊急の話があるらしいよ」 「こんな朝早くにかァ?」 「そう、こんな朝早くに。あ、昼食は準備してあるからユッカと一緒に食べてくれ」 どうせお前達、次起きるの昼過ぎだろう。 にーぁぅ。 ケッ、うるせー。 それじゃあ行ってくる。そうバルレル達に告げはドアを開けた。 迎えにきた黒服の車には既に空目とあやめが乗っており、この後亜紀の所にも寄るそうだ。学校に着けば、既に寮生の武巳と稜子、そして久美子がいた。最後に俊也が入って来、全員が集まった。 「…あれは、見ましたか?」そういう芳賀には先程の事を思い返す。 寮の窓全てに描かれた赤い落書き−…。それは昨晩、カレが描いたものとよく似ていた。もっとも、描いたのはもうひとりのカレだろうが。 (器と離されたとはいえ、あの子はまだ繋がっているからな…、行動が感化されてもおかしくはない、か) 「―まぁ、人間業ではありませんね」 事件の内容をし終えた芳賀がそう締めくくる。話は落書きの内容に移ったが、これもまた不明だという。目立ったものは、”顔”をモチーフにしたのが多かったらしい。 「それでも強いて似ているとしたら候補は2つですね。一つは本当に子供の落書き。もう一つは分裂症の一種、言語新作の患者の作品に似ています」 「ネオ、ロギスム?」 「ええ、”既存の言語には存在しない言葉を次々に作る”という症状を、稀に分裂症の患者が見せる事があるんですよ」 ほとんどは声に出す程度なんですけれどね。と芳賀は言う。 「で、あんたは何が言いたくて、俺達はどうすりゃいいんだ?」 「別に何も。私は君達に一任しましたので、それは君達が決める事ですよ」 張り付けた笑みで芳賀は俊也に言った。一部険悪な雰囲気の中、いつものことだろうにとは小さく息をつく。 「現段階の考察を聞きにきたんじゃなかったんですか、芳賀さん?」 あまり横道にそれるなら、ただの世間話をしにわざわざ朝早く皆を集めたと解釈しますが? そうが告げるとこれは手厳しい。と芳賀が苦笑した。 「まぁ、さんが言った通りですね。詳細は不明ながらも大きく進みましたから。君達…特に空目君から意見を聞こうと思いましてね」 皆が見守る中、空目は閉じていた目を開くと静かに口を開いて話し始めた。 「――これは、間違いなく”怪異”だろうと思う」 昨日までは気付かなかった”匂い”が学校中にうっすらと立ち込めているらしい。 「では今回の現象はどう見ます?」 「落書きについては何とも言えんな。…だが、雪村月子が何故自殺したかについては、大方の想像がついた」 久美子が不安げな表情をさせたが、空目は構わず芳賀へ目を向けた。 「初めに言ったと思うが、俺は最初この件が怪異に発展することを疑っていた。 その主な理由は、雪村月子の死に異界の”匂い”を感じなかった事だ。また、たとえ本物の怪奇現象だったとしても、彼女の死で終わりになったのではないかと思っていた」 普通はそう思うだろう。話を聞きながら思考する。 彼女がいなくなってしまえば、『物語』は幕を閉じるのが定石だからだ。 だが、怪異は終わらなかった。 感染者は別にいることをは知っている。もっとも、この場で告げるつもりはないし、これからも話すつもりはないが。 そんなが出来る事があるとしたら、それは−… (可能な限り、あの子をこちらに引き付けるか、二人を守るか、か) 傍で守る様にいても必ず一人の時間が出来てしまう。その時にあの子の接触がないとは断言できない。 難しいな。と気付かれないよう息をつく。 「――つまり雪村月子は”キャリア”であり、自らも”感染”していながら、自分の意志で自殺を選んだ」 が思考の海に沈んでいる間に話は終りに近づいていた。 「彼女の直接の原因は怪異ではない。自殺だ」 「…なるほど。では君は、あの異常な状況下で行われた雪村さんの自殺は偶然だと結論するのですね?」 芳賀がそう言うと空目は首を横に振った。 「そういうわけでもない」 「と、言いますと?」 「怪異に直接殺されたわけではないが、怪異が自殺の原因だろう」 そう言って月子の『遺書』を鞄から取り出した。久美子の表情が強張る中、芳賀はそれを読みこれは?と空目に顔を向けた。 「遺品から見つかったそうだ」 「そうですか」 即答した空目をすんなりと信じて、折り畳んで返す。 「…これから察するに、彼女は”そうじさま”の儀式中に起こった現象を目の当たりにして危機を感じたのだろう。 そして当事者である自分が死ねば、全てが終わると思い込んだ。彼女は聞くところによると自身の『霊感』に相当な自信とプライドを持っていたらしい。だからこそ能力者である自分の責務として、この栄光ある死へと挑んだわけだ」 「……」 「彼女が”怪異”のシステムに気づいていたかは不明だ。だが本当ならば、当事者、すなわち感染者である彼女の死によって、確かに事態は収拾するはずだったんだ。しかし残念ながら、すでに怪異の”感染”は行われた後だった。彼女は死と同時にただ”怪異”の主役の座を失い、それとは関係なく怪異は発現してしまった。 彼女は遅過ぎた。さもなくば、見当外れだったというわけだ」 そう空目は言い切った。 「……まだ始まっていなかったわけだ。始まりは、ここからだ」 「なるほどね……。つまり要点だけ纏めますと、現在の”感染者”は近藤君と中市さん、そして森居さんのうちの誰かか全員という事ですね?」 空目の結論に芳賀がそう結論する。 「……」 「…まあ、いずれにせよ、ここから気をつけるべきだろうな」 そう締めくくって、話し合いは終わった。 芳賀がいなくなった会議室では、その後もしばらくは沈黙が続いていた。 「ねえ……さっき言ってた事って、本当なの?」 ずっと黙っていた久美子が口を開く。 「…何の事を言っている?」 「月子さんの事。月子さんは、”そうじさま”に殺されたわけじゃない、って、それは間違いないの?」 「嘘だ」 「…え?」 昨日までなら断言していたんがなと驚く皆に平然と言う。代表して亜紀が尋ねる。 「……どういう事?」 が示唆していた通りだった。そう呟く空目には眉を寄せた。 「…何か君に言ったっけ」 「『異界』の匂いを感じなかったのではなく、気づかなかったという可能性だ」 言われて思い出す。あれか、と納得し空目を促した。 空目が言うに、今日ここに来てみたらあやめが持つのと同じ”匂い”――つまり『神隠し』の匂いがそこらじゅうに広がっていたのだという。 「あの事件の時から”匂い”があって、俺がそれに気付かなかったとしたら、彼女は”そうじさま”によって殺された可能性もある。ただ、もしその仮定が正しかったなら、この事件は”神隠し” 絡みだ」 それが違ったとしても、この学校には今何かが起きているのだろう。 空目は久美子に遺書を返し、「そこで相談なんだが」と皆を見回した。 「週末に”そうじさま”の参加者は、家に泊まりに来てくれないか?」 「……へ?」 この急な話に、武巳が頓狂な声をだす。 「この異常が学校のものなのか、それとも近藤達のものなのか確かめたい」 「……ああ、なるほど」 言葉を続けた空目に俊也が頷く。返事は後日でいいという発言で、この場は解散となった。 久美子が一度寮に戻ると言うので、亜紀と稜子が共について行く事となった。そして外の空気を吸って来ると席を立ったのはだ。 まだ静けさの残る静かな校舎の中をは歩く。中庭の池が窓から見え、少し立ち止まる。聞こえてくるのは足音と外の風の音、そして遠くから聞こえる生徒達の喧騒だ。 「―――きみは、相変わらず歪んでいるな」 くすくすと無邪気に笑う子供の声。 おねーさんも、いっしょにいこう? 「…同じ事を言うのは誰に似たのやら」 ふぅ、と吐息を洩らす。この子があの場に潜めていたことに気付いていた。私と共にいる間は、彼女達に危害はない。 (まぁ、それでも気を抜けないがな) そろそろ戻るか。そう小さく呟きくるりと踵を返した時だ。 かつかつと廊下の角から足音が聞こえてきた。とはいえど、にとっては関係ないのでそのまま歩きだす。 いやにでも立ち止まる事になったのは相手がこちらに声をかけてきたからだ。 「こんにちは」 「はぁ…」 こんにちはと軽く頭を下げどちらさまです?とは目の前の男子生徒に問い掛ける。記憶に間違いなければ彼とは初対面の筈だ。 「あぁ、ごめん。こちらが一方的に知っていたから」 3年の八純と名乗った彼は微笑う。それに違和感を感じ、は微かに目を細めた。 「さんはいつもこの時間に?」 「いえ、今日は偶然ですが」 「実は僕もなんだ。生徒がいない学校は、不思議な感じがするよね」 まぁ、そうですねと頷き、そろそろ行かなくてはならないので。と話を切り上げる。八純は引き止めてしまってごめんと苦笑した。 「僕は大低、美術室にいるから、もしよかったら今度友達とでも遊びに来てください」 さんにも絵を見せたいので。 「…何だったんだ、一体」 廊下の角を曲がって離れた所で小さく呟く。八純という名前に覚えはなかった。けど、 (あの目は、異常だ) 左目に何か呪物が埋め込まれているみたいだった。それが何かは分からないけれど。 それと、とは思い出す様に目を細める。浮び上がる記憶はあの時のもの。 柔らかい笑み 重なったのは、 あぁ、そうか。と 息を洩らす。 「――――もうすぐ、君の命日か」 08/06/30 up |