気付いて、立ち止まる。
先程まで聞こえていた、幼い笑い声が今は聞こえなかった。
「………ちっ。腑抜けたな、私も」
駆け出しながらは携帯を操作した。








結論から言えば、遅かったと言おう。亜紀に電話した所、既に事は起きたらしく、多絵の悲鳴が聞こえたらしい。
久美子の姿はなく部屋はクレヨンで赤く染め上げられていたという。
そしてその日の夜、達は空目の家に集まっていた。週末に行う予定を早めたのは、久美子が"そうじさま"によって攫われた為だ。学校から引き離しても気休め程度だと判ってはいたが、他に対策もなく何もしないよりはましだった。
多絵には事情を話し、稜子と亜紀、そしては応接室の隣の客間で、空目達は応接室で寝る事となっている。

夜も更けた時刻。
隣の部屋はどうか知らないが、女子部屋は沈黙に包まれていた。
は小さくため息をついて立ち上がる。
「どうかした?」
「お茶持ってくる。亜紀達はいる?」
「ん。頼んでいい?」
「うん。稜子ちゃんと森居さんは?」
あたしは要らないや。と手をふって稜子が辞退する。多絵は聞いていないのかやはりぼぅ、としたままだ。とりあえず亜紀と自分ので構わないだろうと部屋を出る。
途中であやめを拾って、キッチンでお湯を沸かしながらたわいなく話していると俊也がこちらに顔を出した。水を飲みに来たという彼にあやめがコップを取りに行く。
「そっちはどうだ?」
「変化はないよ。話してもあまり返さない」
だから亜紀もいらついてる。と言えば想像したのだろう。苦い顔をした。あやめから受け取ったコップに水を注ぎ渡しながら呟く。
「村神君達の方は…聞かなくても分かるか」
各自好き勝手やっていそうだ。そう告げれば当たりだと小さく笑った。それに肩を竦めて返し、薬缶から二つのカップにお湯を注ぎティーパックをおとす。
「さて、私は戻るけどそっちは?」
「俺は少ししたら戻る」
分かった、それじゃお先。と声をかけ暗い廊下に歩を踏み出した。






――――――おねえさん

おねえさん

「…想二君?」
いつの間にか意識が沈んでいたのだろう。亜紀が部屋の電気を消した所までは覚えている。
(ぼう)、と闇に侵される様には目隠しの少年と対峙する。夢と現との狭間の此処は空間の上下が存在しない為、浮かんでいる、という表現が正しいか。


もう一人のぼくがね、お友達を見つけたの。

「……連れていくつもりか」

たぶん。兄さんとおねえさん達にめいわくかけたくないのにね。

眉をひそめて、舌打ちする。『お友達』というのはおそらく、森居多絵なのだと思う。武巳はそうしようと思えばいつでも連れて行ける。稜子はといえば、仮にも封印しているとはいえ"彼"がいる。そう簡単に手出しは出来ない筈だ。


「ありがとう、想二君。教えてくれて」

ねーおねえさん。途中まで一緒に行っていい?

「私は構わないが…いいのか?」

だいじょーぶー。このまま行けるけど、どうする?

「そうだな。それじゃあ−…」


ーりん――――


不意に聞こえた音には瞬きをする。空間に波紋が広がる様に音が震える。

「……想二君」

なぁに? おねーさん。

「一度私は戻るよ。危なそうなら戻っててくれ」

はーい。

想二の声を聞き、一言二言囁いた後、は外界に意識を向ける。
途中、あやめと武巳の姿が眼下に見えた気がした。






多絵がいなくなった事が皆に伝わり、武巳と稜子を家に残して達は深夜の街を捜す。
生温い風が足元をすり抜けた。

「やあ、みんな。今日はいい月だねえ」


十字路の中央。
場にそぐわない少女の声に亜紀達が息をつめるのが気配でわかった。
「ここで何をしている?」
此処は当たりなんだけど、違うんだよねえ。とくすくすと詠子は微笑う。
「何……?」
「だってそうでしょ?誘惑者が家に入ったからって、逃げる先は外だけじゃあないよねえ」
「!」
空目の表情が険しくなる。
「しまった…!」
亜紀達も理解が及んだのか、表情を変えた。
「…要するにあれは、あんたの差し金なの?」
「まあ、そういう事になるかな?」
「止めて!今すぐ!」
「無理だよ。もう、あれは私の手を離れちゃってるもの」
亜紀の叫びに詠子は首を横に振りながら返す。
「…製作者なら、作ったものに責任を負うものだと思うけど?」
「確かに”そうじさま”は私が作ったけど、実行してるのはあの子達だもの。もうあの”そうじさま”は、あの子達の物なんだよ」
それでも貴女が元凶な事には変わりはないだろうに。
そう言っては嘆息する。

「ふふ…、嫌だなぁ。私は影君の”弟”を助けたいだけだよ?」
「………何?」
空目を促していた俊也が振り向く。
「…何を言って……」
「そのままの意味だよ」
詠子の言葉にが問いを重ねる。
「わざわざ魂と器を別させしても?」
「そうだねぇ。それが1番いい方法かなって」
−ほんとうに?−
は音に出さず、問う。
「『異界』に捕われて形を失った弟君に、形を与えるための<儀式>が”そうじさま”。皆に形を作ってもらえば、自分の形を思い出してあの子も家に帰ることが出来るもの」
「お前…!」
「止せ、村神」
激昂しかかる俊也を制し、空目は微笑む詠子に一つだけたずねる。
「…もう遅いんだな?」
「そうだね。遅いと思うよ」
二人の言葉に亜紀にはよく判らなかった。視線をずらし詠子はに言う。
「ねぇ、。手伝ってくれないかなあ。そうしたら、あの子とお話できるのに…」
「手伝わない。以前にもそう答えたけれど?」

残念だなと詠子が楽しそうに微笑った。



あれからすぐ、5人は空目の家に戻っていた。けれど武巳達二人はそこにはいなく、慌てて家中を探したがいなかった。
「……いたか?」
「いや…」
俊也がそう尋ねると空目は首を振った。
まるで神隠しにあったように忽然といなくなった二人。
亜紀も戻ってきたが収穫はなかったらしい。戻って来てないに気付き、俊也が尋ねる。
「…は?」
「まだ捜してる。なんか気になる場所があるみたい」
その言葉に黙っていた空目が視線を向ける。
「…気になる場所?」
「ん。確かこどもべやって、プレートのある部屋辺り」
なんと言っていただろうか、は。
亜紀が先程聞いた言葉を言う。
「『不自然に(ねじ)れている』…だった様な…」
そうか。と頷き、空目は皆を2階に促す。
「……空目?」
「”そうじさま”が想二と同じなら――あそこかもしれん」
「どういうこと?」
「…もしも想二なら、あれは”神隠し”だ」
空目は、淡々と言う。
「それは……」
幼いころ空目と想二が連れて行かれた『異界』は、あやめの属する『異界』と同じものだと冷静な口調で続けた。
「だとすれば、想二はあやめと同じ”物語”を持っている」
「………」
「”神隠しに攫われた者は神隠しとなる” でしょう」
話が聞こえたのかが廊下の先からこちらを待っていた。
「やはり間違いないか」
「そうだろうね。想二君が戻ってくるとしたら……此処だと思うよ」
この先が捩れてる。そう呟きは色褪せたプレートがかけられている部屋を一瞥する。
「…開けてみたい。村神、壊せるか?」
空目が俊也を見た。ドアを眺めて、頷く。

「やってみよう」





あやめの詩が紡がれ終えると同時に俊也が階下から持ち出してきたバールで叩き破った。みしみしと繊維がちぎれる音と共に、むっと埃っぽい空気がこちらへ流れてくる。木の破片に気をつけながら空目に続きと亜紀が中を見渡す。部屋の中央にいる多絵に気付き亜紀がそちらに向かう。意識が戻ったらしい武巳には声をかけた。
「近藤君、稜子。平気?」
「…………へ?」
素っ頓狂な声を上げられるなら平気なのだろう。そう結論づけ、二人の側による。
「おれ………どうなったんだ?」
武巳が呟く様に問いかけたが誰も答えなかった。近寄ったは眠る稜子を診て、眠っているだけと解り、大丈夫だと空目に小さく頷く。
沈黙に戸惑っていた武巳に、先程まで鋭い視線を向けていた空目が口を開いた。
「俺達はあやめの存在を呼び水に使って、『異界』に通じさせたドアを破った。するとお前達三人が、この部屋にいたわけだ。中で何があったかは知らんし、鍵が失くなった開かずの部屋にどうやって入ったかも知らん。詳しくはこっちが聞きたいくらいだ」
そう言って空目は腕を組んだ。呆然と空目を見上げていた武巳が慌てて多絵を見る。
多絵は床で泣きじゃくっていた。その脇に亜紀が立っている。
その多絵が何か呟いているのを聞き、は眉をよせた。
「―――よ……。月子さんが見えないよ……」
目隠しを返して。とうわ言のように訴える多絵に亜紀は駄目だとはねつける。
「あんたは目隠ししたまま、一生ずっと生きていくつもり?」
「……」
「……そんな事できるわけないじゃない。馬鹿じゃないの?あんた。あんたには目があるんでしょうが!見えるものは見えるに決まってる!」
「……」
「目隠しなんか役に立たない!」
そう言って、亜紀は目隠しを自分のポケットにねじ込む。
沈黙の中、多絵は泣き続け、やがてゆっくりと顔を上げた。

「―---じゃあ、こんなもの要らない―――」

ぶちゅ、ぶちぶち、と湿った音と何かが切れる音が漏れた。
ころん、と乳白色の球が2つ床に転がり、そして―――
「ぎゃあー―――――っ!」
真っ赤な血を眼窩から流しながら恐ろしい悲鳴が溢れだした。

「………普通は見えないものだよ」
この世界は。そう誰に言うともなくは呟く。皆が凍りつくなか、悲鳴との声だけが聞こえた。
「視えた所で、耐えうるかと聞けば誰しもがそうなわけないしね…」
多絵の悲鳴に小さく息をつきながら、は彼女の後ろに回る。
「まぁ、一度触れた者にはこの誘惑は強いか…」
とんっ、と首に軽く手刀を落とした。多絵は悲鳴を唐突に途切れさせ、意識を失う。
「ほんと、皮肉だねぇ……」
「…救急車は呼んだぞ」
「……それはどうも」

そして全てが終わりを告げた。


















08/09/30 up